[御真影と奉安殿の帰趨]

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【御真影 奉安殿】
 右の実施要領の第三条は奉安殿等における神道的象徴を除去する指令であるが、御真影について昭和二十年十二月二十八日付の通達では、御真影が軍装であることから、GHQの軍国主義排除指令に沿うべく、元旦の拝賀式は御真影奉拝ではなく、宮城遙拝に代えさせた。翌二十一年一月七日付で天皇・皇后両陛下の御真影を奉還するように通達し、二月十五日には、さらに明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・皇太后のそれも同様に奉還せしめた。
 次いで、四月五日付で宮内次官からの天皇・皇后・皇太后・皇太子の写真を下賜するにあたり、五月十八日付で西遠地方事務所長から青年学校長・国民学校長あてに、「(別紙)御写真取扱要項」(全五条)が令達された。
 この前文には、天皇の写真を規定して、「国民ガ日本国ノ元首国民大家族ノ慈父トシテ深キ敬愛ノ念ヲ以テ仰ギ奉ルベキモノトス」とある。国家自体を一大家族国家に例えた国家像を示してきた文部省編纂(さん)の『国体の本義』の理想が残された規定であり、日本国憲法成立以前での位置付けである(末木文美士『日本宗教史』、岩波新書)。この第一条には神道指令以後の措置として、拝礼の強制を否定し、第二条で写真奉掲の場所について日常奉拝可能な清浄なる場所を指定し、奉安殿等への奉納は不可としている。
 後者の奉安殿については、それ自体が神道的象徴であるか否かの混乱があった(『新編史料編五』 四宗教 史料8)。各県に派遣された現場の占領軍でも解釈に差異があったが、七月十七日付西遠地方事務所長から市町村長・国民学校長あての通達で、奉安殿の取り扱いは、「校舎の外にある御真影奉安殿は神社様式をもつか否かの区別なく」「すべて撤去」が命じられた(入野小学校蔵「連合軍最高司令部発教育関係指令綴」)。