【神道指令 神道指令違反】
先には昭和二十一年一月十九日付で、教育界における国家神道色一掃について強硬・徹底して指令がなされ、これと軌を一にして実施した指令は、地域住民の日常生活に潜む宗教行為を、国家神道否定の原理から峻別することであった。地域住民の氏神神社には、国家神道の下に序列化された社格があった。官幣・国幣・郷社・村社の社格や神饌幣帛料供進指定を示す標柱が神社入り口にあった。GHQはこれらの撤去を命じた(昭和二十一年一月十六日付官報)。それにもかかわらず、速やかになされなかったので、その年の九月六日付で西遠地方事務所長から市町村長あてにさらなる通達があった。今日、神社入り口に社格を示す刻字部分をセメントで塗抹した標柱が、まま見受けられるのはその処置例であろう。
さらに、昭和二十二年二月十日付で、「町内会隣組等による神道の後援及び支持の禁止に関する件」が静岡軍政部から再度の指示があった。それは全四カ条からなる指示である(『新編史料編五』 四宗教 史料11)。これは先の神道指令を改めて述べたものであり、その第四条は信仰の自由の真髄を示したものである。国家神道下の慣行に鎧われた宗教行為を一刀両断で改めることの困難さは、日本各地で神道指令違反として顕在化した。千葉県における摘発例を契機に、昭和二十二年二月十五日付で西遠地方事務所長から市町村長あてに通知があった。通達は本(内務)省及終戦連絡東海北陸事務局長よりの通知で、「各県とも一層の趣旨徹底に努力されたい」と、全国的に注意を喚起している。
昭和二十一年十一月三日に公布され、翌年五月三日から施行された日本国憲法の下、神道指令を遵守する宗教事務の執行にあって、必要な七項目を掲げて注意を促したものが、同二十三年一月二十日付の通達、「宗教事務の取扱方について」である(『新編史料編五』四宗教 史料14)。