[神社庁浜松支部の財源]

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【神社庁浜松支部 氏子戸数】
 右に見たのは昭和二十五年度の神社庁浜松支部の総会記事であるが、次に総会の決定に基づいて、浜松支部としての財源をいかに確保するか、という問題がある。その捻出方法を示す史料が、浜松支部長で五社・諏訪両社宮司吉田伊頭麿から神社総代にあてた通達書(昭和二十五年十月十日付、上村家文書「蒲神明宮関係書綴」)である。「(前略)本年度は終戦后既に五ヶ年を経まして、神社の旧社格に基く高低の割出は不適当に就き、各社公平の割当の為め氏子数に依る加減を致すことに変更されました。尚、焼失神社の割引も此際撤廃が至当との御意見に依りまして、本年度は全神社平等に御願申上ぐる事と相成りました、其の結果、各社共負担金の半額 ―各社均等割、残額 ―各神社の氏子数に負(ママ)課する事、又、氏子戸数の算出は、全戸数(市役所の調査による)の七掛と致しました、此れは氏子でないとせられる方もあらうかと存ぜられましたので、無理の無い処を考へまして計算の基礎を出しました。そして一戸当り六十銭宛の御負担を御願申上ぐる事となりました、例へば氏子区域の町戸数百戸とすれば、七十戸に六十銭宛を御願いたします金額が氏子数に基く割当です。斯くて予算金額に基きまして計算し再び九月三十日役員会を召(ママ)集慎重審議を重ね、左記の通り議決されました、各社均等割百六十円 半額、各社氏子戸数(一戸六十銭宛)残額」とある。これは新憲法下の政教分離と神道指令を前提とする文章であり、戦後五年の時点でもはや社格を言わず、さらに焼失神社への配慮も排し一律となっている。その結果、各神社は「均等割百六十円」を負担する。また氏子戸数の算出方法は、町戸数の「七掛」を基礎数字とし、それに一戸六十銭を掛けた金額との合計を負担するのである。
 浜松支部(中央部・東部・西部・南部・北部)に所属する神社(神社名省略)数は、「浜松市氏子総代会趣旨」(上村家文書)によれば、中央部(十四社)、東部(十九社)、西部(十三社)、南部(十六社)、北部(十三社)の合計七十五社である。この時、氏子区域町内の戸数算定は「市役所の調査による」としている点が注目されるし、結果として住民への賦課を前提としている。また、「七掛」の根拠は「氏子でないとせられる方もあらうか」という配慮から出たものであることが、まさに戦後の認識であろう。文末にはほかに戸数が少ない神社への負担金についての配慮が示されている。結句には「神社庁への負担金も送付も催促を受けて居りますので」至急納金されたいと結んでいる。