[氏子会の結成]

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【氏子総代会 連合氏子会】
 神社庁浜松支部の動向について見たとき、財源確保と教化活動との観点から、外郭団体育成強化が当面の問題点として挙げられていた。その一つとして、戦後の氏子会の結集・結成がある。その現れが浜松市氏子総代会や浜松市連合氏子会であろう。両団体共に「趣旨」を起草している(上村家文書「蒲神明宮関係書綴」)。
 もっとも、前者の史料は年欠であるが、第二条の文中に、「『神道指令』の趣旨に基き行動する事を誓う」とある点から、昭和二十年十二月十五日から遠く隔たっていない時点で起草された「趣旨」であろう。その第十八条にこの会が行う事業として、五項目を挙げている。すなわち、一、神宮奉賛の実行 一、各神社氏子会の結成を進め神社経営の刷新を実行する 一、神社復興並整備保全に関する実行 一、教化活動の活発化の企画及実行 一、祭祀儀式の研究である。氏子総代会は「浜松全神社」に協力し、「渾然一体の努力」を「教化活動」に注ぐというものである。
 前者の「浜松市氏子総代会趣旨」(全二十四条)とは別に、ほとんど同じ趣旨と表現を持つ後者の「浜松市連合氏子会趣旨」(全二十三条)がある(『新編史料編五』 四宗教 史料16)。
 これまた年欠であるので、成立時点が判明しない。しかし、この「前文」には「日本国憲法にも違反しないことを確信する」とあって、日本国憲法が公布された昭和二十一年十一月三日、それが施行された同二十二年五月三日から遠く離れていない時点の成立であろう。
 前者との違いは条文数にもある。先に引用した前者の「浜松市氏子総代会趣旨」第二条、すなわち「神道指令」を遵守するという内容の条文が、後者の「浜松市連合氏子会趣旨」にはない。それ故に条文数が一条分少なくなっている。また、日本国憲法に違反しないこと、あるいはまた、「軍国主義や過激な国家主義的為政者に依つて誤られた祭政一致」を総括していること、この点が前者と大いに違うところである。
 右の「神道指令」遵守に相当する文章は、実にいわゆる「前文」に謳われており、しかも敗戦後の日本の状況を端的に記して、連合氏子会が置かれた位置付けを明快に記している。
 両者の成立の時間差が判明することが望まれるが、その「前文」に謳(うた)われた箇所を引用すると、「我が浜松市連合氏子会は、昭和二十年十二月十五日付連合軍最高司令部発表の覚書たる、所謂る『神道指令』の趣旨に基づきて行動する事を誓ふものであり、曾ての軍国主義や過激な国家主義的為政者に依つて誤られた祭政一致の部面を払拭して、宗教たる本然の相に立返つた神社に対し、信奉者として之が維持存(ママ)を希望し、各々自由なる意志に依る信仰を捧げまつることは、同覚書に対しても亦我が日本国憲法にも違反しないことを確信する」とある。
 先にも見たように、前者の「浜松市氏子総代会趣旨」では精々「神道指令」遵守をいうのみである。後者の「浜松市連合氏子会趣旨」での「前文」では踏み込んだ表現をとっている。逆に言えば、前者は条文化させたのみで戦前の国家神道について総括していない、と言えよう。この差はどこから発生したのか考えなければならないし、それぞれの成立時点の時差や、影響関係を見なければならない。あるいは、構成員の差異、氏子総代の会議と氏子会の連合とのそれぞれの存立基盤を見極めることが必要であろう。
 なお、昭和三十二年になると、「浜松市氏子総代会」とは別に、「静岡県神社総代会浜松支部」が結成され、その「規約」も起草されている(上村家文書)。この会の目的は、言うまでもなく、第三条「神社の興隆と社会教化に努め、会員相互の親睦を図るを目的とする」と記している。