【柳田秀男 『活ける基督』 鶴田潔】
大日本帝国憲法下における信教の自由とは、天皇制国家における国家神道を前提にし、「靖国参拝は愛国心の表現であって宗教行為でない」(末木文美士著『日本宗教史』、岩波新書)というものであった。キリスト教信者にとっては忍従の世界観が強いられ、屈従の日常生活があった。柳田秀男の個人雑誌である『活ける基督』の廃刊の辞には、昭和十五年の時勢の中で喧伝(けんでん)されている「神国日本」という言葉の下で信仰と言論を抑圧されて、聖書のいう神国をなんとか現状に付会させようとする痛々しさがあった(『新編史料編四』 四宗教 史料16)。同様な事情は戦時中に日本基督教団浜松教会の鶴田潔牧師が被った例もある。浜松警察署特高課から呼び出され、会員名簿や教会記録等の書類を没収されている。また、右翼団体からは外人宣教師の追放、教会解散の要求等があり、それに加えて、教会信者までもが戦勝祈願の不徹底さをなじる状況があった(『日本基督教団浜松教会百年史』、平成三年刊)。
従ってGHQが出した民主化政策、それに続く日本国憲法における基本的人権の宣言は画期的なものであった。これを受けて昭和二十三年八月、『活ける基督』の復刊がなされた時、柳田は「世界大戦と終戦後の本誌に取りての七年間の空白時代を経て、茲に雑誌『活ける基督』が再び聖霊の新装を付けて新しい時代に復活したのであります」と喜びを述べた(『新編史料編五』 四宗教 史料18)。
また、右の『日本基督教団浜松教会百年史』には、鶴田潔牧師著「浜松教会八十年略史」が引用されている。それは浜松工業専門学校学生への布教に尽力したこと、学内に基督教学生青年会が結成されたこと、後にはその中から伝道者が誕生したこと等であり、戦後社会に活力が回復してきている状況を語っている。
戦前の浜松市内には九つの教会があった(メソジスト教会・アッセンブリー教会・ルーテル教会・ホーリネス教会・日本基督教会・美普教会・独立教会・聖公会・カトリック教会)。
近年の浜松で活動しているキリスト教各派については、田丸徳善編『都市社会の宗教』所収、荒井芳廣・山中弘著「浜松におけるキリスト教」の論考がある。それによると新旧合わせて二十の教派が活動しており教派の性格から三つの類型に分けられている。一は伝統的教派(カトリック教会、旧メソディスト系、旧日本基督教会系の日本基督教団など)、二は戦後に入って進出、本格的に活動を開始した福音系等の教派(アッセンブリーズ、イムマヌエル、同盟など)、三は時期的には二つの類型と重なり合いながらも性格的には従来のキリスト教にないユニークな特徴を持つとされる教派(末日聖徒イエス・キリスト教会、エホバの証人、キリストの幕屋など)が挙げられている。