[新宗教への反応一斑]

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【仲群 新宗教】
 新宗教が戦後の社会の中でどのような作用と反作用をもたらしたのか、次に浜松市域の青年会に属する仲群の新宗教認識(浜松市領家町青年会文化部『砂丘』第三号、昭和三十一年十一月刊)を紹介する。
 この冒頭に新宗教成立の世界史的考察を置き、新宗教は既存の宗教では救済されなかった民衆の支持により始まるとし、現代社会の科学でも大部分の民衆は貧困と病苦からは解放されず、新宗教を誕生せしめたと記す。信徒の苦悩の解消は入会者を紹介すること、経典やお守りや式服を買うことであると、教団の布教方法を述べている。教団は信徒から浄財を吸い上げ、巨大な資本の蓄積、ないしは資本主義的企業体と変わりない経営を行い、教団本部や施設の巨大建築物を作り、物心両面から信徒をつなぎとめていると、教団における布教と運営上の疑問点を衝(つ)いている。結論として「戦時中、戦後のいわば異常な過渡期にあたって発展した教団に顕著に現れている『信教の自由』といういわば信念の上での大切な人種の問題がかえって教団経営の腐敗と矛盾に利用される事は許し難い問題だ」と論断している。
 右の論説執筆の社会的背景には、昭和三十一年時点における立正佼成会と創価学会の、それぞれの教線拡大と、それに伴う確執とが存在するようである。この抗争について島田裕巳は次のように解説する。すなわち、立正佼成会による土地不法買い占め事件と創価学会の政界進出とが、新宗教に対する社会の警戒心を強めていたことが背景にあったという。この島田裕巳による歴史的評価を踏まえると、右のような仲群の論説は宗教の本質を問う鮮やかな一斑を点じ、この一時代を切り取っていることが分かる。