敗戦の衝撃を自らどのように受け入れるのか。大きな命題と言うべきものであるが、個人がその衝撃を記録することによって受容する場合や、大きな思想運動に共鳴賛同する場合もあろう。
前者の例では、生涯を教育に捧げた鈴木良のように、丹念・膨大な日記「教育残念記」を綴ることで将来を思い、身辺の瑣事(さじ)の中に自らの変容を託した人物がいる。
昭和二十年九月十三日条には「秩序の乱れ」と題して、通勤時に経験する鹿島(ママ)駅頭での混乱の中にあって、「軍隊教育の最大欠陥たる要領主義が、社会の秩序を乱ること夥しい」とし、教育者としての自覚が秩序回復にこそ「今後の教育の一眼目」と記録する。昭和二十二年一月十一日条には「敗戦後の倫理をみる」と題して、通勤途上で目撃した食糧事情、食生活の作法が戦時中の尽忠報国の標語とともに一掃されている状況などを記録している(『新編史料編五』 七社会 史料4・23)。
また、昭和二十三年十一月二十一日条には、国民学校時代の教え子の訪問を受け、「虚無的な悩みの中に生活してゐる今の青年たちをどう導いたらよいものか」と、教育者の苦悩を記し、対話の際に述べた内容(五カ条)を記した。それを抄出すると、1、悩むこと自体に進歩がある、2、現実に生きる運命を認めること、3、自己の思想で広く現実相を解釈し、不可能な事態こそ自己超越の機会であること、4、「キリストなり釈迦の身に自己をおく」ことによって自己研鑽せよ、5、思想研究と批判精神を持つこと、と指導したことを記している。