【モラロジー】
モラロジーとは広池千九郎(慶応二年~昭和十三年)の造語で、自らが樹立した学問大系に命名したものである。広池のいうモラロジーとは、諸聖人の思想とその道徳の原理を中心として樹立し、自然科学研究における因果律と同様に、道徳実行の効果(因果律)についての実証的研究がテーマである。その目的は、人類の生存・発達・安心・平和・幸福を実現するための道徳原理の発見と、その人類社会における道徳原理の効果を明らかにすることである。その道徳原理は聖人、すなわち、ソクラテス・キリスト・釈迦・孔子・皇室を指し、これを世界の五大道徳系統と名付け、これに一貫する道徳の原理大系を最高道徳と名付け、そこに共通するのは知徳一体であるとした。このことについて、大塚真三著『入門モラロジー』(昭和四十七年九月刊)を手引きに、この浩瀚(こうかん)な学問大系の一斑を記すことにする。
広池は豊前中津藩領内の神主家に生まれ、維新後は元杵築藩儒者小川含章(日出藩帆足万里門人)漢学塾で勉学した。明治二十八年、『古事類苑』編纂に参加し、三十九年の完結により、神宮皇學館教授に任官した。右の編纂事業の過程で東京帝国大学教授穂積陳重の知遇を受け、『東洋法制史本論』を東京帝国大学に提出し、大正元年十二月、法学博士を受領した。
他方、伊勢時代に天理教研究に着手し、天理中学校名誉校長に就任したが、大正四年、天理教中山新治郎親柱の死去の際に披瀝(ひれき)した宗教観が教団幹部の反発を買った。この体験により自己と他者への洞察が「慈悲寛大」「自己反省」のモットーを生み、モラロジー研究に邁進して、大正十五年、『道徳科学の研究』を脱稿し、これを記念して道徳科学研究所を創設した(昭和四十七年、モラロジー研究所と名称変更)。
ここでは最高道徳の原理的研究と教育(学校教育・社会教育)を基本に据え、知徳一体を教育の本質とし聖人の教えを祖述することになる。祖述重視とは諸聖人による最高道徳を広池の著作から学び、諸聖人の心を体した広池の言動を追体験することである。三十年来の友人、白鳥庫吉は『道徳科学の研究』にいう原理は、広池自らの実践と指導経験の結果と評した(『モラロジー創建五十年』昭和五十年刊)。広池には諸聖人の祖述者としての自覚があった。とりわけ社会教育においては、昭和六年八月十二日の「日誌」(前掲書)で「モラロジーノ精神団体ヲ造ルコトガ世界救済ノ本」といい、国家の命運は国民の道徳心に帰し農工商の自営業者が担っているという認識である。それ故に彼らこそ期待される社会教育の対象者となる。