[産業基盤の喪失]

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 昭和二十年(一九四五)八月十四日、日本はポツダム宣言を受諾、八月十五日には天皇が終戦の詔勅を放送し、戦争は終わりを告げた。これ以降、日本は連合軍の占領下に置かれることになった。
 産業都市浜松は、戦時経済下にあって軍需産業化を進め、多くの軍需関連工場が集積していた。そのためアメリカ軍の攻撃目標になり、二十七回にも及ぶ空襲と艦砲射撃を受け、徹底的に痛め付けられた。その結果、被害は罹災面積六・九〇平方キロメートル、罹災戸数三万一千戸、罹災人口十二万人にも上った。