社団法人浜松商工会議所設立趣意書 浜松商工会議所

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 この時に作成された「社団法人浜松商工会議所設立趣意書」において、その趣旨を次のように述べている。「戦時中に設立された静岡県商工経済会は、戦後の民主化の要請に従ひ近く解散を断行することと成りました。浜松地区は之に代つて全く清新な社団法人浜松商工会議所を設立し、真に商工業者に依つて運営される商工業者の為の機関として民主的に商工業の復興と発展とを促進し、以て平和日本の建設に寄与したいのが私共の計画の根本趣旨であります」(『新編史料編五』 五産業 史料5)。また、『百年史』では、「新商工会議所への入会勧誘は、『商工業者の利益、保護増進』を掲げたものであったが、戦後混乱期の中で、大方の理解を得るのは容易なことではなかった」と述べられており、設立に向けて多大なる努力が払われたことが分かる。昭和二十一年九月二十五日、努力のかいあって創立総会が盛大に挙行された。総会には五百六十二名の会員が出席し、定款案、第一事業年度収支予算案、常議員選出などを審議し決定した。浜松商工会議所は、全国的に見ても、戦後いち早く設立された会議所の一つであった。これは、明治以降、内発型産業都市を築いてきた商工業者の再建への強い意志の表れでもあった。
 浜松商工会議所は、各産業分野の結束を固めるために五つの部会を組織することにした。部会の編成には紆余(うよ)曲折があったものの、①繊維部会、②鉄工機械部会、③土木建築部会、④木材工業部会、⑤理財部会(昭和二十二年一月現在)の五部会でスタートした。その後、同年十一月には食料品部会、雑貨部会、電気化学工業部会、運輸通信部会、貿易部会を加え十部会として再編された。商工会議所の実質的な活動基盤はこの部会活動にあり、また、このように多様な部会を組織化できた背景には、明治以来単一の産業に依存する産業都市ではなく、様々な産業が併存し、かつ相互に影響し合いながら継続的に発展してきた歴史があるからにほかならない。
 昭和二十五年五月三十一日、政府は商工会議所法を公布し、商工会議所を社団法人として公認した。これにより、商工会議所は公益性のある経済総合団体として認められることになった。