遠州地方産業復興協議会

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 このような状況下で、労使が協調して産業の復興に寄与しようという意図で結成されたのが遠州地方産業復興協議会であった。昭和二十二年一月二十七日、労使の代表者や学識経験者などが集まり、労使が協調して産業の復興を目指すことで合意した。これにより同年四月十六日、労使の代表五十人が出席し遠州地方産業復興協議会の結成大会が開かれた。この大会において、労使は基本方針として「日本経済民主化の徹底」、「経営の民主化」、「国民生活の安定確保」、「賃金制度の改革及び利潤の分配」、「民主主義的産業教育の推進」、「生産危機突破運動」の六項目で合意した。敗戦によって経済が混乱するなかで、このような労使協調による産業復興を目指すという理念は、産業都市浜松にとって大きな意義を持っていた。当時、協議会の事務局長であった堀田正は、この協議会の意義を次のように述べている。
 「平和日本の建設にとつて最も重要な課題である経済復興を達成する為には、労働者は資本の弊害を打破しつつ生産意欲を昂揚し、経営者は企業の民主化を徹底しつつ経営能率を増進し民主的に相協力し経済復興に挺身する一大国民運動を展開しなければならない。」(『遠州展望』第十号)