しかし、労使が激しく対立する時代において産業復興協議会の精神を実現していくことは不可能であった。同協議会を脱退した帝国製帽会社の松島保平社長が、『月刊遠州』の第二号でその脱退理由を次のように述べている。
「私の退脱した理由は、要するにそういう産業復興会議をもつことの必要なことはわかるが、お手伝いしてゆくだけの余裕がないのと、理論闘争をするというだけに止まっている会議に、いつまでもはいつている必要はないと判断したからにすぎない。」
このように復興協議会はしばらくの間は機能していたが、労使が激しく対立する時代になると事実上機能停止を迎えることになった。