[貿易の再開と生産の増加]

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【貿易の再開 外貨獲得】
 敗戦国の日本にとって経済上の課題の一つは貿易の再開であった。資源小国である日本にとって、国内の産業を復興するためには海外からの原材料等の輸入が必要であった。敗戦からちょうど二年目の昭和二十二年八月十五日に制限付きながらも民間貿易がGHQから許可されることになった。海外から原材料を輸入するためには外貨が必要であり、そのためには輸出を増やす必要があった。
 産業都市浜松は、もともと繊維、木工製品、楽器など生活関連製品を多く生産していたため、戦後の平和産業への移行も比較的速やかに進んだ。また、外貨を獲得するために早い段階から海外への輸出を行っていた。主要輸出品の輸出推移を表2-14で見ると、繊維製品や楽器を中心に輸出を拡大していったことが分かる。昭和二十三年八月に、浜松商工会議所が調査した輸出契約実績は、表2-15の通りで、早い段階から輸出を行っていたことが分かる。
 
表2-14 主要輸出品年次別輸出趨勢(指数)
品目\年次昭和22年  23年  24年  25年  26年  27年  28年
綿・スフ織物100142173250373218309
綿糸10011280114
染色
染織物
1004072445548181,6902,290
100160200410871473539
織機100364448540294343
ミシン1001,8325,8944,0302,859
ピアノ100984644770874654
ハーモ二カ1002444471,444902605438
合板100119260168199
出典:『浜松商工会議所六十年史』より作成

表2-15 輸出契約実績
楽器
1 ハーモニカ52,205打51,466,423円
輸出先アメリカ、シンガポール、アフリカ、オランダ、香港、その他
2 ピアノ10台未完
関係工場日本楽器、河合楽器、天龍工芸、鷲津紡織
ミシン100台輸出先シャム
関係工場富士産業
織機関係
1 自動織機1,684台 輸出先 インド、ベルギー、香港
2 力織機770台輸出先 ジャワ、シンガポール
3 準備機13台輸出先 香港、ジャワ
4 織機部品24,842点輸出先 香港
関係工場遠州織機、鈴木織機、三協機械
織物生産実績(昭和22年8月~昭和23年7月一カ年間)    (平方ヤール)
ポプリン13,206,820へアコード857,351
サロン193,089キャラコ65,084
繻子51,062キンガム26,011
縞雲斎70,440ガーゼ20,440
ティッキング17,880別 珍7,562
タイヤコード7,500タオル地4,005
織物染色加工(平方ヤール)
1 捺染全幅 4,623,479輸出先マレー、蘭印(オランダ領インド)、
フィリピン、アフリカ、 シンガポール、
南米、イラン
2 捺染ポプリン433,590輸出先 蘭印、マレー、シンガポール
3 捺染仁斯818,370輸出先 蘭印
4 捺染太綾63,000輸出先 イラン
5 浸染仁斯839,190輸出先 蘭印
6 浸染太綾204,640輸出先 蘭印
7 整理(サロン)142,421輸出先 シンガポール
8 注染(浴衣)33,000輸出先 アフリカ
関係工場日本形染、大和染工、今村染工、遠州染工
食糧品関係
うなぎ缶詰 11,500ケース(百缶入)輸出先アメリカ
関係工場浜名湖食品
出典:『静岡新聞』昭和23年9月8日付より作成
注:昭和23年8月浜松商工会議所調べ