【遠州織機 東京セロファン紙】
浜松の工業部門の再生の第一歩は、鍋・釜の生産やバラックの建築から始まった。遠州織機(昭和二十年十月までは遠州機械)は昭和二十年九月二十五日に三百五十名の人員で出発し、二十一年一月から工作機械を動かして鍋・釜の日用品から鍬・製粉機などの生産を開始した。また、日本楽器は軍用の木材が残っていたため、これを使って簡易住宅(バラック)の建築に取り掛かった。東京セロファン紙は原料の入手が困難で、昭和二十一年の初めから代用畳表を生産した。焼け野原からの復興は、このようにして始まったのである。