[集排法と日本楽器の対応]

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【過度経済力集中排除法 企業再建整備法】
 前述したGHQの経済的非軍事化政策は経済民主化の名の下に推進された。アメリカ政府は、財閥の独占的支配が日本の侵略行為を促進したととらえ、経済力の私的集中の排除が日本経済の民主化のために不可欠であると主張した。この意向を受けた日本政府は、昭和二十二年十二月十八日に過度経済力集中排除法を公布・施行した。この法律の指定を受けた企業は全国で三百二十五社であったが、最終的に再編成指定を受けた企業は十八社にとどまった。
 昭和二十三年二月、日本楽器は過度経済力集中排除法の適用を受け、岩手工場の閉鎖に追い込まれた。これに対して日本楽器側は、持株会社整理委員会に対して「過度の経済力の集中に該当するかどうかを決定する具体的基準(基準第二)の各項目について、過度の経済力の集中の状態を記載した説明書」を提出し、次のような主張をしている。
 
  ……当社の歴史によつて明らかな通り当社は個人企業から自然的に興隆して来たものであつて、楽器製造の事業分野に於て支配力を得んがために積極的に他の会社、工場を合併又は買収した事実は全然なく、昭和十二年以降昭和二十年九月迄の間に過当に拡張された企業でもなく、又関連性のない事業分野を併有する企業でもない。
  亦他の企業者が自由に競争分野に入つて競争し得る事も既述の通り明らかである。
  以上の通り当社企業は健全なる民主的国民経済再建に何等の支障を与えるものではないと確信する。
 
 これに対し持株会社整理委員会は、日本楽器が、現に所有している他社株式を処分するために三十日以内に処分計画書を公正取引委員会に提出するよう指令している。日本楽器は、この指令に従い株式処分計画を提出し、昭和二十三年九月十日に承認され、同月三十日には企業再建計画が認可され、十二月十六日には未払込金を切り捨てて、資本金を七千万円に減資した。日本楽器の『社史』では「翌二十四(一九四九)年二月二十八日、企業再建整備法による新旧勘定合併決算を行い、ここに当社は、約二年半にわたる特別経理会社を解除され、晴れて自由な企業として活動することができるようになった」と記述している。