戦時中、浜松の楽器産業は軍需品生産へ傾斜し、日本楽器はプロペラ生産が主力になり、河合楽器も航空機用の補助タンクの生産に乗り出した。しかし、敗戦とともに楽器生産を再開するものの、立ち直りは容易ではなかった。日本楽器は軍用の木材を利用して家具や簡易住宅の建築を手掛けるところからスタートした。楽器の生産は、敗戦から二カ月後にハーモニカやシロホンから始まり、昭和二十一年にはオルガン、アコーディオン、ギターの生産に着手した。さらに、二十二年には、原材料が不足していたがピアノの生産を再開している。河合楽器は、昭和二十年十月、ハーモニカの生産を開始し、翌年には米軍向けの家具やラジオキャビネット、アコーディオンの生産を始めた。二十三年にはオルガン、ピアノの生産を再開した。
この時期の浜松における楽器産業の特徴は、既存の楽器工場が次々に生産を再開していく一方で、新しい楽器工場の設立が相次いだ(表2-18参照)。日本楽器が持株整理委員会に提出した「説明書」(昭和二十三年)に添付した資料によると、楽器製造会社は全国で百社に上っている。主な集積地は東京、静岡、愛知、大阪であった。静岡県は、計画中の工場も含めると十八社に上り、その大部分は浜松を中心とした遠州地方に集中しており、十八社中十一社はハーモニカを生産していた。このように楽器工場が急増した原因は、①文部省の学校教育に楽器が取り入れられ、将来大きな需要が見込まれたこと、②戦前の技術者が浜松周辺部に温存されていたこと、③戦争に動員された技術者が、復員後技術を活かし自分で会社を設立したものが多かったこと、などがあった。資本
力の弱い中小の楽器メーカーが乱立した背景には楽器商の存在があった。楽器商は、設備投資等の資金を前貸しし、製造した楽器を安く仕入れるという方法をとったためである。
表2-18 静岡県内所在楽器製造業者一覧(昭和23年)
出典:「集排法手続記録(102)日本楽器製造株式会社関係」の添付資料より作成
工場名 | 所在地 | 製造品目 | 製造開始 |
日本楽器製造株式会社 | 浜松市中沢町 | ピアノ、ハーモニカ、オルガン、 アコーディオン、ギター | |
河合楽器製作所 | 浜松市寺島町 | ハーモニカ、アコーディオン | 昭和20年10月 |
天龍工芸株式会社 | 浜名郡和田村 | ハーモニカ、ピアノ | 昭和21年4月 |
鷲津紡織株式会社 | 浜名郡鷲津町 | ハーモニカ | 昭和21年5月 |
東海楽器研究所 | 浜松市寺島町 | ハーモニカ | 昭和22年2月 |
鈴木商事株式会社 | 浜松市相生町 | ハーモニカ | 昭和21年1月 |
キング楽器研究所 | 浜松市北寺島町 | ハーモニカ | 昭和21年1月 |
神谷木工株式会社 | 浜松市砂山町 | ハーモニカ | 昭和22年10月 |
富士楽器製作所 | 磐田郡磐田町 | ピアノ | 昭和22年10月 |
東洋楽器製作所 | 磐田郡掛塚町 | ピアノ | 昭和21年5月 |
相澤工芸製作所 | 浜松市龍禅寺町 | ギター弦 | 昭和21年8月 |
有限会社日本技芸社 | 三島市二日町 | トーネット | |
第一楽器製造株式会社 | 浜松市中島町 | ハーモニカ | 目下試作中 |
羽衣楽器製造株式会社 | 浜名郡入野村 | ハーモニカ | 2月より試作品完成見込み |
浜松楽器製造所 | 浜名郡積志村 | ピアノ | 1月中に2台完成見込み |
山葉楽器製作所 | 浜松市助信町 | オルガン | 計画中 |
遠州楽器製造株式会社 | 浜名郡和田村 | ピアノ | 計画中 |
吉田木工株式会社 | 浜名郡豊西村 | ハーモニカ | 計画中 |
合計 18社 |