遠州地方は、戦前、全国有数の綿織産地を形成してきた。この綿織産地は、織布業だけでなく、染色加工工業、繊維機械工業、紡績業などの繊維関連産業が産地内に存在するという、総合的な綿織産地を形成してきたところに、その特徴があった。しかし、戦時経済が進み、軍需品生産に傾斜していくなかで、遠州地方の中心的な産業であった綿織物製造は衰退していった。また、昭和十九年十二月七日に起きた東南海地震と大戦末期の度重なる空襲と艦砲射撃は繊維産業に壊滅的打撃を与えた(表2-19)。
戦後の繊維業界の立て直しにおいて、政府は昭和二十一年九月に繊維産業再建三カ年計画を立て生産の拡充を図った。これに伴って、遠州地方においても、昭和二十二年七月に遠州織物復元期成同盟会を結成し、四千八百台の織機の復元を要望した。また、戦後の復興に大きな役割を果たした静岡県織物工業協同組合は、商工協同組合法の成立に伴い昭和二十二年三月に設立された。同組合は、昭和二十三年九月には四つの組合に分離改組され、遠州織物工業協同組合・天龍社織物工業協同組合・静岡県絹人絹織物工業協同組合・遠州毛織工業協同組合が設立された。遠州織物工業協同組合は綿・スフの織物業者を中心に組織化され、戦前の永久社の流れを受け継ぎ、天龍社織物工業協同組合は磐田郡福田町を中心とした別珍コール天の業者が中心になり、戦前の天龍社の流れを受け継いだ。また、静岡県絹人絹織物工業協同組合は、戦前から小巾業者中心で、戦時中には絹・人絹織物が多かったが、戦後は綿・スフの小巾業者が中心であったため、昭和二十六年十二月に遠州小巾織物協同組合に改組した。遠州毛織工業協同組合は広巾毛織物業者を中心に組織化された。
敗戦直後の昭和二十年十月の繊維産業復興状態は、工場数五百六十二工場、織機は一万五百七十一台であった(『新編史料編五』 五産業 史料32)。繊維業界は、平和産業への移行とともに、まず戦災者の衣類の生産から始まった。遠州織物産地が息を吹き返したのは、昭和二十一年の原綿輸入であった。同年六月、米船アーネスト・W・ギブソン号が米綿二万千七百十二俵を積んで神戸港に到着、輸入された原綿は原綿統制規則(昭和二十一年六月十五日GHQより公布)によって処理された。昭和二十一年度の実績を見ると、輸入原綿のうち八割三分は製品化し輸出用として国有綿の扱いを受けた。残りの一割七分は内需用として紡績会社に払い下げられた(表2-20)。この原綿は、遠州産地内のすべての機業者に割り当てられたのではなかった。GHQの指示によって、一工場の織機施設二百台以上と限定され、小規模工場に対しては原糸の割り当てが行われなかったため、中小業者からの強い反発があった。そのため、小規模機業者にも割り当てられたものの、中心は比較的規模の大きい機業者であった。遠州地方では、輸入された原綿は神久呂織物組合・西遠織布株式会社・滝清織物組合・志田織物工場・久寿満織物工場・東三織物組合・清水義男工場(組合)などで製品化され、輸出されるまで国有綿として管理されていた。国有綿は政府の計画によって生産を行い、各織布業者は政府から織工賃をもらう仕組みであった。
一方、昭和二十三年九月にはバイヤーとの直接契約(BS契約)が認められたため、織布業者の多くが紡績会社の賃織りになっていった。このBS契約と戦時中に導入された綿業リンク制は、遠州綿織物産地内の垂直分業関係を構造化していく原因となった。昭和十三年に導入されたリンク制は、個々の織布業者が紡績会社から直接綿糸を購入できなくなり、賃織り契約を結び、糸の割り当てを受けるという制度であった。そのため中小の織布業者は紡績会社と賃織り契約を結び、その下請工場にならざるを得なかった。そのため地元の産元の影響力の低下を生み出した。戦後、この制度にBS契約が加わり、大多数の中小織布業者は、運転資金、工賃、原糸の入手において商社や紡績会社に依存する度合いを増していった。大手紡績会社や商社と中小零細な織布業者との二重構造問題は遠州綿織物産地の構造的問題になっていったのである。
このような構造的問題を抱えながらも遠州地方の繊維業界は復興を成し遂げ、昭和二十五年ころには戦後の最盛期を迎えた。全国の約十六%を占める遠州綿織物産地の成長は輸出に支えられ、生産量の七割が輸出に依存していた。主な輸出品はポプリン、カナ巾、シュス、別珍コール天、サロン、縞ポプリンなどで、特に別珍コール天はカナダ・アメリカ・東南アジア等から注文が殺到した。
表2-19 静岡県織布専業者製織高(昭和12年~昭和21年)
出典:『遠州産業文化史』・『浜松発展史』より作成
工場数 | 織機台数 | 生産高(千平方ヤード) | |||
輸出向 | 内地向 | 合計 | |||
昭和12年 | 2,066 | 50,188 | 345,150 | 252,913 | 598,063 |
13年 | 2,017 | 49,279 | 234,112 | 197,380 | 431,492 |
14年 | 1,953 | 46,624 | 299,730 | 121,676 | 421,406 |
15年 | ― | ― | 222,362 | 101,601 | 323,963 |
16年 | 1,893 | 43,595 | 86,750 | 120,178 | 206,928 |
17年 | 1,838 | 39,222 | 12,597 | 108,689 | 121,286 |
18年 | 708 | 14,799 | ― | ― | 28,892 |
19年 | 676 | 14,067 | ― | ― | ― |
20年 | ― | ― | ― | ― | ― |
21年 | 574 | 10,464 | 7,124 | 6,829 | 13,953 |
表2-20 昭和21年度輸入原綿割り当て
出典:『遠州輸出織物誌』より作成
輸出織物用 生産割当 | 内需用製織割当 | ||
綿 | スフ | ||
第1回 | 125梱 | 516梱 | 965梱 |
2回 | 4,748梱 | 381梱 | 648梱 |
3回 | 3,416梱 | 1,098梱 | ― |
4回 | 5,142梱 | 305梱 | 130梱 |