【木工機械 庄田和作 庄田鉄工所 平安鉄工所 鈴木専平】
工作機械とは金属等を加工する機械であるが、ここでは木を加工する木工機械も含め、戦後どのように発展してきたかを見ることにする。
浜松地域の木工機械は、戦前の木工刃物工業を先行産業として誕生している。また、木工刃物工業は製材業を先行産業として生まれ、製材業は天龍木材の集散地の中から発生している。戦前、丸鋸や竪鋸を製造していたのは天竜製鋸(浜名郡和田村)や柳川鉄工所(板屋町)、日笠鉄工所(佐藤町)などであった。このうち、柳川鉄工所と日笠鉄工所の二社から多くの職人がスピン・オフして、浜松地域の金属・機械工業を形成していった。浜松地域で木工機械の先駆け的役割を果たした日笠鉄工所(後に西遠鉄工と改組)は労働争議で倒産したが、そこを離れた従業員は木工機械や工作機械の会社を興している。そのうちの一人である庄田和作は、昭和元年(一九二六)に庄田鉄工所を設立している。彼の経歴は鉄道省浜松工場から西遠鉄工へ移り、その後独立しているが、このルートは浜松における工作機械工業の技術の伝承過程でもある。また、平安鉄工所(昭和十八年設立)の創業者である鈴木専平は庄田鉄工に入社後、独立している。
戦後になると、住宅建築を中心とする木材の急速な需要の高まりによって、木工機械工業の業界も急速に復興・拡大していった。需要の拡大を背景に、各業者は精密技術の向上と新機種の開発に努めていった。庄田鉄工では、外国から輸入されていた工作機械の国産化を目指した。昭和二十二年当時、木工機械を製造していた企業は、庄田鉄工、平安鉄工、(資)加藤鉄工、東海製作、松山鉄工、小倉製鉄、共栄工業、朝比奈鋳造、日笠鉄工、池谷鉄工、遠州治金、天竜鈴木鉄工、松下鉄工、二ッ和製作などである(『遠州機械金属工業発展史』)。