[日本専売公社浜松工場の開設]

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【新生 いこい 日本専売公社浜松工場】
 明治三十七年(一九〇四)、それまで民営で行っていた煙草事業を政府が直営で行う専売制度を導入した。政府の専売にした理由は日露戦争の戦費を賄うためであった。浜松における煙草生産は、明治三十年(一八九七)、遠江煙草株式会社の設立に始まるが、政府の専売事業になり明治三十八年二月に見付煙草製造所浜松分工場が市内の元城町に設立された。浜松工場では、主として「あやめ」「はぎ」「もみぢ」などの刻みたばこを製造していた。大正九年(一九二〇)には、それまでの刻みたばこの製造を中止し、口付け紙巻きたばこに切り替えたため、大きな工場が必要となり、市内野口町(今の静岡文化芸術大学の位置)に工場を移転した。この工場では年間九億本の口付けたばこ「敷島」「朝日」を製造した。昭和二十年六月には、戦災により工場が全焼したため、同年八月に浜名郡笠井町の葉煙草収納取扱所でたばこ製造を再開し、その後市内の浅田町に移転し、両切りたばこの「きんし」と刻みたばこの「のぞみ」を製造した。昭和二十三年八月には市内の西伊場町(現在地)に新工場を建設移転し、両切りたばこの「ハッピー」と刻みたばこの「のぞみ」の製造を開始した。二十四年六月一日には日本専売公社が発足したため、名称も日本専売公社浜松支局になった。この年に「新生」と「いこい」などの両切りたばこの本格的生産に入った。ちなみに昭和二十四年度の製造高は約二十億三千万本を数えた。翌二十五年七月一日に日本専売公社浜松工場と改称した。