【東京セロファン紙 倉部電気 浜二塗料】
浜松地域における化学工業は繊維産業の発達の中で生まれてきた産業である。その代表的な企業が染料や工業薬品を作っていた加藤化学、大同産業である。そのほかに東京セロファン紙、倉部電気、浜二塗料、磐城セメントなどがある。東京セロファン紙株式会社は、その前身を日本ビスコースといい、昭和六年(一九三一)に浜松市中沢町に設立された。同九年には曳馬町にも工場を建設し、同十一年には東京セロファン紙と合併し、中沢工場は閉鎖した。戦時中は軍用のセロハン紙や合成フィルムを生産したが、終戦直後は原料不足もあって代用畳表やケミカルペーパーを生産していた。しかし、昭和二十四年四月になると、セロハン紙の再開にこぎ着け、セロハン紙のほか、セロハンテープ(商品名はセロテープ、セキスイテープ)や膏薬用セロハン(商品名はトクホン、サロンパス)を生産するようになった。セロハン紙の原料はパルプ、苛性ソーダ、二酸化炭素、硫酸などで、浜松駅を経由して遠州助信駅まで貨車で運ばれた。
倉部電気の前身は倉部電気製作所といい、昭和十三年(一九三八)に東京都蒲田区で開業し、電気を絶縁する材料のワニスチューブを生産していた。昭和十七年篠原村の新興電気製作所を合併し、倉部電気製作所の浜松工場となった。翌二十年三月、東京大空襲で本社と工場が全焼したため、昭和二十一年三月に浜松工場に本社を移し、ワニスチューブ、絶縁塗料、スリーブなどを一貫作業で生産し、その製品は国鉄、電電公社等に納入した。
浜二塗料は昭和二十三年に創業し、塗料の製造と販売を主に行っている。ピアノ、オルガン、テレビ、ラジオなどの塗装も手掛け、塗料開発の実験、研究にも取り組んだ。