【高栁健次郎 堀内平八郎 浜松テレビ 安藤電気 富士電気化学】
産業都市浜松の今後の発展にとって、電子機械工業は最も注目される産業である。一地方の工業都市にすぎない浜松において、高度な専門知識と優れた技術力に裏打ちされた電子機械工業が誕生したのはなぜか。この産業が、当地域で発生するインキュベータ(起業を生み出す仕組みや制度)の役割を演じたのが浜松高等工業学校(現在の静岡大学浜松キャンパス)であった。同校の高栁健次郎がブラウン管によるテレビ受像器を開発したことはあまりにも有名な話である。
高栁健次郎の門下生であった堀内平八郎は、昭和二十三年に東海電子研究所を海老塚町に設立し、グローランプや広告灯を製造するとともに、光電管やセレン・ビジコンの試作を開始した。当時は終戦後の混乱期で資金も資材も入手困難であった。昭和二十八年九月に浜松テレビ株式会社を設立し、東海電子研究所の業務を引き継ぎ光電管の製造と販売を開始した。以後、ビジコン、テレビカメラなどの生産を始め、昭和三十一年には光電子増倍管の試作を開始し、同三十四年には製造・販売を開始するまでになった。
そのほか、電子計測器専門メーカーの安藤電気や乾電池メーカーの富士電気化学などは浜名郡鷲津町に設立された。