【農業協同組合法 農業会 総合農協 開拓農業協同組合 業種別組合】
戦時中に統制団体として組織された農業会は、戦後、アメリカの占領政策の基本となった農村民主化政策により解散させられた。昭和二十二年十一月に農業協同組合法が成立し、翌二十三年の三月から四月にかけて多くの農業会は解散していった。農協法の内容の骨子は次のようなものである。
(1)正組合員は農民に限り、準組合員は権利を制限される
(2)組合の設立、区域、組合への加入、脱退は自由とする。
(3)農協の事業を列挙し、組合は事業の全部または一部を行うことが出来る。
(4)組合員の権利と組合の民主的運営についての諸規定を設ける。
農協法は、アメリカの農協関係法を形式的に導入することによって、自由と民主主義を盛り込んだのである。新法に基づく農協は、信用事業を含む総合農協という形で全国的に設立された。総合農協の設立数は、昭和二十三年八月までに一万四千を超え、ほぼ全国の農村に設立された。また、総合農協だけでなく、養蚕や畜産などの専門農協や戦後開拓の推進に伴う開拓農協の設立も多数に上った。
静岡県においても、昭和二十三年六月までには、ほとんどの総合農協(普通農協、一般農協)は認可を受け設立された。普通農協以外にも戦後開拓事業によって入植した人々によって開拓農業協同組合が設立された。さらに、茶業、農村工業、畜産、酪農、果樹などの業種別組合も各地につくられた。