[戦後の農村工業]

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【農村工業振興大綱 製茶 茶園 ミカンの缶詰 トマトケチャップ】
 農林省は、昭和二十一年十一月十五日に農村工業振興大綱を発表し、農村工業の育成指導に乗り出した。浜松市における農村工業の中心は製茶である。昭和十六年では茶畑二百六十三町歩で三十五万八千三百五十円の生産高を誇っていたものの、戦争による労働力不足や食糧増産のため整理・転換が行われ、戦後昭和二十一年には四十町歩まで減少した。しかし、戦後の食糧輸入の見返り物資として輸出されるようになったため、多くの茶園が復興していった。これにより生産量も年々増加していった。昭和二十六年当時、浜松市の茶園は高台と富塚農協管内を中心に百五十六ヘクタール、これを加工する機械製茶工場は二十、普通煎茶八万三千貫(約三百十一トン)が生産されていた。
 また、昭和二十九年、浜名郡北庄内村の農協加工場では、一月から四月にかけてミカンの缶詰、五月はイチゴのジャムや夏ミカンのマーマレードを製造し、六月はグリーンピース、七月から八月にかけてはモモの缶詰やトマトケチャップを生産していた。一年間の生産量は、ミカンの缶詰が二万千箱、モモの缶詰とトマトケチャップが一万箱に上っていた。この加工場は昭和二十六年一月に農林省から基幹工場指定を受け、二十九年二月には農林大臣表彰の栄誉に輝いた。