静岡県は緊急開拓事業として、食糧の自給体制確立を目的に浜名湖一千町歩を干拓し、耕地化する計画を立てた。しかし、漁業会から反対が起こったため、一時これを保留していたが、昭和二十一年八月十六日、農林省との折衝の結果、干拓計画を決定した。県は漁業に支障のない場所を選定し、かつ地元の了解を得て計画を策定した。それによると、第一期計画における対象地域は村櫛・南庄内・鷲津の三カ町村で干拓面積は三百四十二町歩に上った。この干拓による農産物の増産量は、水稲千八百石、麦二千七百十六石、甘藷七十九万六千貫を見込んだ。各地域の事業計画は次の通りである。
△村櫛村
干拓面積は百十五町歩で、完成時には麦一千六百三十二石、甘藷三十五万七千貫の増収を見込んでいる。
△南庄内村
百二十七町歩を干拓し、うち水田が四十八町歩、畑が六十六町歩で、米九百六十石、麦千五十六石、甘藷二十三万一千貫の増収を見込んでいる。
浜名湖沿岸干拓事業のうち、村櫛村の干拓地は昭和二十二年六月に着工され、二十三年十二月に完成した。村櫛干拓では水田も造成され、これによって毎年四百石の米が、また八十七町歩の畑からは二千石の麦が収穫されるほか、甘藷・馬鈴薯四十万貫と全国一のエンドウ及び大豆、葉たばこ、イグサなどが増産されるようになった。
伊佐見地区は、村櫛と対岸という位置にあり、村櫛干拓伊佐見工区とされ、村櫛と同時に計画されたが、漁業組合との漁業補償問題が難航したため、計画の一部を変更し、昭和二十五年に着工された。工事は昭和三十二年三月に終わり、同年から三十六年にかけて四十八戸が入植した。
図2-36 村櫛村の臨海開拓地