戦後の土地改良制度の中核をなすものは、昭和二十四年に制定された土地改良法である。この法律は、戦前の土地改良制度を継承し、戦後の土地改良制度の発展の出発点となったものである。従って、この法律は、耕地整理法・水利組合法・農地開発法等の戦前の土地改良制度と、さらに戦後に実施された緊急開拓事業や農地改革などから影響を受けた。この法律の特徴は、戦前の地主中心の土地改良が耕作者中心に変わり、農民の自主性を保証する内容になっていることである。農民が自主的に組織した土地改良区によって土地改良事業が実施されるというものであった。土地改良区は農民の自主的な団体であると同時に、公益を目的とする公共的性格の強い団体であった。昭和二十年代の土地改良事業は、戦後の食糧難を背景に食糧増産のための土地改良が中心であった。
浜松市では、灌漑(かんがい)排水の改良、老朽化水田の改良、畑地灌漑など改善を要する農地が多いため、土地改良事業を強力に推進する必要があった。表2-31によると、用水不足と排水不良の水田が千五百五十町歩あり、区画整理を必要とする水田も千町歩を超していた。そのため各地区で土地改良区が設立され(表2-32参照)、稲作生産力の向上が図られた。
表2-31 要改良水田の実態(昭和27年ごろ) (単位:町歩)
出典:『浜松発展史』より作成
地区別 | 用水 不足田 | 排水 不良田 | 老朽化 水田 | 冷水 灌漑田 | 鉱害塩害 風汐害田 | 要区画整理田 | 合計 |
白脇地区 | 200 | 60 | 100 | - | - | 289 | 649 |
蒲地区 | 150 | 30 | 70 | - | - | 150 | 400 |
曳馬地区 | 120 | 50 | 85 | - | - | - | 255 |
高台地区 | 30 | 15 | 45 | 15 | - | - | 105 |
開拓地区 | 25 | 20 | - | 10 | - | - | 55 |
富塚地区 | 20 | 10 | 45 | 15 | - | 25 | 115 |
新津地区 | 300 | 200 | 210 | - | - | 320 | 1,030 |
五島地区 | 100 | 100 | 100 | - | 20 | 150 | 470 |
河輪地区 | 55 | 65 | 45 | - | - | 80 | 245 |
計 | 1,000 | 550 | 700 | 40 | 20 | 1,014 | 3,324 |
表2-32 浜松市の土地改良区(昭和27年~34年)
出典:『静岡県土地改良史』より作成
土地改良区名 | 設立年月日 | 組合員(人) |
天竜川明善 | 昭27.03.06 | 9,659 |
浜松市西南部 | 昭27.12.04 | 1,746 |
浜松市長上 | 昭27.12.25 | 854 |
積志 | 昭29.02.06 | 2,046 |
浜松市東南部 | 昭29.09.07 | 856 |
笠井 | 昭32.02.25 | 370 |
寺脇 | 昭33.07.21 | 236 |
浜松市白羽 | 昭33.11.10 | 161 |
篠原舞阪南部 | 昭34.05.19 | 1,068 |