[消えた作物と新しい換金作物]

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【麦 白菜 もく 庄内白菜】
 もともと畑作依存度の高い浜松地域では、様々な換金作物が栽培されてきた。しかし、戦後二十年代の終わりごろになると、畑作物の種類は大きく変化してきた。表2-33において畑作物の作付面積の変化を見ると、栽培される作物が食糧事情や食生活の変化に伴って変化していったことが分かる。昭和七年(一九三二)では、麦が断トツで、大根、甘藷と続き、まだ桑がベストテンに入っているのが注目される。昭和二十二年になると、食糧難時代を反映して、米の代用食として甘藷、馬鈴薯、蕎麦などが生産されていた。ところが、食糧供給がある程度安定してきた昭和二十九年になると、再び換金作物の栽培が始まり、胡瓜、ネギ、白菜、茄子などの生産が増加していった。
 特に、白菜は二十二年段階では作付面積が十二位であったが、二十九年では七位に上昇し、急に生産量が増えていった。白菜の主産地は庄内地方で戦前から白菜の栽培が行われていた。庄内白菜の肥料としては浜名湖のもく(藻草)を採取して使っていた。浜名湖のもくを使って栽培した白菜は形や味も良く東西市場で大好評になった。昭和二十五年農業試験場の指導により品質の統一を図り、「庄内白菜」のブランドが確立した。しかし、昭和二十八年九月の台風十三号の来襲により白菜は大被害を受けた。これを境に庄内白菜の生産は少しずつ後退することになるが、庄内白菜衰退の主要因は①庄内地区の一戸当たりの栽培面積が他産地(関東地区)に比べ狭小であること、②関東地区に比べ輸送コストが高いことなどであった。昭和三十年代後半には庄内白菜はついに姿を消すことになり、白菜に代わって花きや洋菜が栽培されるようになっていった。
 
表2-33 浜松市の畑作物の作付けベスト10
昭和7年昭和22年昭和29年
1位
2位大根甘藷甘藷
3位甘藷大根
4位大根馬鈴薯
5位馬鈴薯胡瓜
6位里芋ネギ
7位菜種蕎麦白菜
8位茄子南瓜西瓜
9位ネギ里芋茄子
10位漬菜茄子南瓜
出典:『静岡県統計書』、『続浜松発展史』より作成
注:陸稲は畑作であるが、ここでは除外した。
  野菜は、秋冬作と春夏作の合計とする。
  昭和29年の統計には茶と糸瓜、生姜の統計は出ていない。
  昭和29年の統計は三方原開拓地を含まない。