[駅本屋と上下ホーム等の焼失]

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【浜松駅の戦災被害 運休状況】
 終戦とともに浜松にも待望の平和が訪れた。しかし、浜松駅は昭和二十年(一九四五)六月十日のB29による高性能爆弾投下によって駅舎と客車用の二本のプラットホームがほぼ破壊された。また、その他の施設の多くも六月十八日の浜松大空襲と七月二十九日~三十日の艦砲射撃によって焼失または損壊した。『浜松市戦災史資料』二(平成九年二月二十八日発行)と米国戦略爆撃調査団関連資料によれば客車被害は焼失四十両・中破十五両・小破三両、レール被害は三千九百三十一・六メートルに及び、被害総額は約千三百万円と推算された。その復旧には多大な時間と費用が必要となった。
 また、浜松駅が米軍に提出した資料によれば、空襲による浜松駅を通過する列車の運休状況は、次の通りであった。昭和二十年六月十日の空襲では上下線とも十七時間、六月十八日の大空襲の際には、上り七時間三十分・下り八時間五十分、そして七月二十九日~三十日の艦砲射撃では上り六十五時間五十分・下り六十七時間五十分にわたった。とはいえ、戦中から戦後にかけて、浜松駅はこれ以外には休むことなく列車の運行を続け、乗降客と発着貨物を取り扱った。