利用者の急増にもかかわらず、空襲による施設の被害、車両の修理・新造の停滞、石炭をはじめ主要資材の絶対的不足等により、輸送能力は著しく低下した。しかも、戦後は特殊事情として一般輸送のほかに復員・引揚者、疎開復帰者ならびに進駐軍の輸送によって圧迫された。これに加えて、昭和二十年十二月以降の石炭危機に伴う列車削減と食糧不足による買い出し客の激増が輸送の混乱に一層拍車を掛けることになった。特に石炭事情の悪化は深刻で、二十一年十一月十日には前年末に続いて再び旅客列車が大幅削減され、翌二十二年一月四日には急行列車が全廃(四月二十四日復活)されるなどした。
このため、列車の混雑は甚だしく、臨時列車や不定期列車が設定されたが、主要線区における列車は三倍から四倍の乗客、一両三百人以上という状況であった。沼津─浜松間では列車に乗れない客が一日三千人に上った。当然のことながら乗車秩序は乱れ、混乱は一層激しいものになった。『静岡新聞』(昭和二十年十月二十四日付)は、終戦直後の様子を「現下の逼迫せる食糧事情に起因し列車の乗客もその八割までが食糧買出しの旅客に占められての混雑も言語に絶し文字どをり旅行もいのちがけの観を呈する」に至ったと報じた。
表2-35 昭和22年1月時刻表改正時の浜松発車時間及び浜松到着時間
出典:東京鉄道局 昭和22年1月20日現在『時間表』(JTB『時刻表』復刻版 戦後編1 1999年12月1日発行所収)より作成注:*印は着時間。
東海道線上り | 東海道線下り | ||
運行区間 | 浜松発時間 | 運行区間 | 浜松発時間 |
名古屋-東京 | 23:22 | 東京-博多 | 13:59 |
門司-東京 | 23:58 | 東京-米原 | 17:03 |
浜松-東京 | 5:48 | 東京-名古屋 | 19:18 |
名古屋-東京 | 8:21 | 東京-浜松 | 20:22* |
大阪-東京 | 12:28 | 東京-門司 | 4:50 |
博多-東京 | 12:04 | 沼津-大阪 | 9:09 |
浜松-東京 | 16:11 |
表2-36 浜松駅における旅客・小口荷物・貨物の取扱数の推移
出典:『浜松商工会議所六十年史』より作成
年度 | 旅客 | 小口荷物 | 貨物 | |||
乗客 | 降客 | 発送 | 到着 | 発送 | 到着 | |
人 | 人 | 個 | 個 | トン | トン | |
昭和14 | 2,514,253 | 2,503,230 | 265,289 | 428,694 | 172,938 | 246,103 |
20 | 4,039,393 | 4,002,092 | 19,774 | 22,701 | 152,675 | 216,819 |
21 | 2,059,772 | 2,094,067 | 48,012 | 48,413 | 132,976 | 261,827 |
22 | 5,734,296 | 5,723,293 | 54,172 | 44,170 | 142,072 | 293,995 |
23 | 5,340,954 | 5,386,872 | 120,163 | 130,633 | 167,586 | 335,703 |
24 | 5,223,056 | 5,200,181 | 159,604 | 220,760 | 171,683 | 341,754 |
25 | 4,912,238 | 4,713,476 | 222,698 | 254,813 | 104,518 | 258,977 |
一方、貨物輸送量は昭和二十年九月を最低として、以後増加し続けた。しかし、旅客部門と同様に石炭の不足や不良車・故障車の増加等による貨物輸送能力の低下のため、昭和二十三年ころまでは駅の滞貨はさらなる増加を余儀なくされた。