[沼津─浜松間国鉄電化促進運動]

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【期成同盟会 電化期成同盟会浜松支部】
 戦後は石炭の確保が困難となり、勾配区間や幹線の電化が行われることとなった。勾配区間は高崎・長岡間の一部など、幹線区間では東海道本線の沼津・浜松間が対象となり、沼津・静岡間は昭和二十一年四月一日に着工したが、五月になってGHQから敗戦国日本において鉄道の電化は時期尚早などとの指令があり、中止となった。計画はいったん白紙に戻ったものの、電化を実現することは、県内の沿線都市、とりわけ工業都市浜松の発展に極めて重要な意義を有するものと考えられた。
 こうしたなか、県下の商工会議所事務局長会議で電化問題が取り上げられ、昭和二十二年二月には県下七商工会議所を中心として期成同盟会の結成を決定した。以後、県を挙げて沼津─浜松間(百三十・九キロメートル)電化促進運動が展開されることになる。東海道線電化の対象区間は、沼津─京都間であったが、沼津─浜松間と米原─京都間のどちらの工事を先行するのかも重要な問題であった。こうして、同年四月十二日、小林県知事を会長、清水・静岡・浜松の各商工会議所会頭を副会長とする沼津─浜松間鉄道電化期成同盟会を結成、予算計上を目指して関係当局への強力な陳情運動を展開した。浜松市でも六月二十一日市議会に電化促進特別委員会を結成、七月九日には浜松商工会議所に沼津―浜松間鉄道電化期成同盟会浜松支部を設置するなど、電化の早急な実現を期して、官民一体となってこの運動に参加した。なお、昭和二十二年には大井川以西の町村議会により電化促進決議が行われるとともに、同年九月八日に浜松市公会堂において、沼津─浜松間国鉄電化促進西部県民大会が開催された。
 この結果、昭和二十三年二月、沼津─浜松間の国鉄電化は、米原─京都間に先立って実施されることになった。このうち二十三年度は沼津─静岡間の着工が決まり、静岡─浜松間は予算の都合で二十四年度となった。ところが、四月初旬に運輸省は、沼津─浜松間の電化工事の繰り上げ完成を決定したため、二十三年度内に電化が実現することになった。浜松駅は、電化とともに電気機関車と蒸気機関車の付け換え駅となるため、構内設備をはじめ、浜松機関区や浜松工機部の拡張などが必要となった。