昭和二十五年三月一日に長距離電車列車の構想が実現し、東京・沼津間にオレンジと緑色の湘南電車が登場した。湘南電車は、十五両の長大編成電車の長距離運転の先駆けとして、全く新しい構想の下に設計された。その機動性・快適性が高く評価されたばかりでなく、車体構造は朝夕の通勤輸送にも旅客輸送にも対応できるように考えられていた(『日本国有鉄道百年史』通史 昭和四十九年)。電車といえば近距離の輸送機関という通念は打破され、片道二百キロメートルを超える運行区間を一日一往復以上運転することが可能となった。
昭和二十五年七月十五日には湘南電車は一日一往復だけ静岡まで乗り入れるようになり、同年十月一日のダイヤ改正に伴い、別に一本が富士に乗り入れることになった。また、十二月十五日には静岡止まりが島田まで延長された。浜松市議会と浜松商工会議所は湘南電車の浜松乗り入れの早期実現を関係当局に陳情したが、電力事情が窮屈なこと、車両の改良が必要なこと、電車には低すぎる各駅のホームの改装が必要なことなどの理由で早期の実現は困難とされた。とはいえ、こうした陳情を受けて、十一月二十六日には湘南電車浜松乗り入れのための試運転が行われた。その結果、電車とホームの高低・間隔、架線の高さなどについて調査・調整して、昭和二十六年二月十五日から上下各一本ずつ島田駅から延長運転され、市民待望の湘南電車の浜松乗り入れが実現した(『新編史料編五』 六交通 史料30)。同電車は、東京─浜松間を約五時間半で結び、早くも同年八月には、湘南電車による東京日帰り実現という市民の要望に応えて、さらに一往復の増発陳情が展開されることになった。
図2-43 湘南電車お目見得の記事