【遠州助信駅】
一連の空襲のため、二俣電車線の運行は一部区間での運休を余儀なくされたとはいえ、「先ず運行に必須の施設並に旅客取扱に支障なき程度の施設の復旧に重点を置き」(『浜松市戦災史資料』二)、一日の休みもなく運転を続行した。昭和二十年六月十八日の浜松大空襲の直後においても直ちに遠州助信駅を臨時起点として西鹿島駅まで運転を開始するなどの措置を取り、八月二十一日にとりあえず遠州浜松─助信間の運行再開を実現した。しかし、線路、施設、車両とも戦時中の酷使、老朽化、そして戦災によって疲弊し、満足な運行は出来なかった。なお、本社ビルが全焼したため、八月に入って本社事務を西鹿島仮事務所に移転した。