【浜松鉄道解散 遠州鉄道奥山線】
戦災や設備の老朽化なども重なって、経営困難状態に陥っていた浜松鉄道は、昭和二十年十一月の役員改選を契機に遠州鉄道との経営統合を図りつつ復興整備に努力した。こうしたなか、名古屋鉄道局からの合併の勧奨もあり、翌年十一月七日に遠州鉄道と浜松鉄道は合併契約書に調印した。これにより、遠州鉄道が権利義務一切を継承するとともに、浜松鉄道は解散することになった。
なお、合併に対する処遇に満足しなかった浜松鉄道の従業員が労働組合を結成してこれに対抗したため、予定されていた合併日程に多少遅れが出た。しかし、昭和二十二年三月二十四日に両社の合併が認可され、五月一日に合併が実現した。新会社の資本金は四百六十三万四千四百円で、旧浜松鉄道から三名の役員が加わった。この結果、浜松鉄道は遠州鉄道奥山線となり、遠州鉄道の営業路線は四十四・四キロメートルとなった。