昭和二十四年以降、奥山線の近代化を図るための計画が立案され、実施に移されていった。まず、電動客車四両を導入して、翌年四月二十六日に全線の三分の一にあたる東田町─曳馬野間(八・三キロメートル)の電化が完成した。また、二十六年八月一日には、残りの曳馬野─奥山間にディーゼル動車二両が導入された。この結果、全線のスピード化が図られることになり、運転度数の増加も可能になった。さらに、昭和二十七年には蒸気機関車をディーゼル機関車に改造、二十九年と三十一年には新型のディーゼル動車を新造するなど車両の近代化を進めた。奥山線の蒸気機関車の完全な引退は昭和三十一年六月であった。
図2-46 曳馬野・奥山間のディーゼル動車
浜松軽便鉄道創業の大正三年以来、ラッキョ軽便の愛称で親しまれた蒸気機関車は、ここに歴史的な使命を終えて引退することになった。