[新車の導入と郊外路線の開設]

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【山の手線 早出線 観光貸切バス】
 市営バスは昭和二十三年末ごろまでに車両及び諸施設の復旧がほぼ完了し、旧式の車両(主に代燃車)を廃止しつつ新車(主にガソリン車)を導入し、郊外路線の開設を進めた。二十一年の時点でわずか十両だったバス車両は、新車導入により、二十三年には十八両、二十四年二十両、二十六年には二十五両を数えるようになった。この間、『静岡新聞』には「近く発注中の六十人乗り大型車輛二台が到着」(二十三年一月五日付)、「今回電気バス三台を発注し」(同二十四年十一月八日付)などの記事が散見される。かくて市営バスは輸送能力を高めると同時に、新たなバス路線の開拓または路線の延長に乗り出した。二十四年以降の町村合併による市域の拡大がこれを可能にした。
 まず昭和二十三年十月には、戦後急膨張した市内北部地区の輸送需要に応えるべく、市営バス路線の延長申請を運輸省に提出した。その一つは、追分町から葵町までの区間、もう一つは高林町から曳馬町を経て上島に至る区間であった。二俣電車線と奥山線、そして浜松から気賀までのバス路線を持つ遠州鉄道側からの反対があったが、その後の調整により、二十四年五月二十三日に山の手線(浜松駅─市営グランド経由─浜松駅)として実現した。また、同年十月には早出線の運行が開始された。こうして、二十六年に市営バスの乗車人員は三百四十八万人を超え、戦前のピークを上回った。
 なお、観光貸し切りの需要増に対応して、事業区域を市内及び隣接町村として経営免許を取得、昭和二十五年一月十日から観光貸切バスの運行を開始した。
 
表2-39 市営バスの車両数、走行粁、輸送人員の推移
年度車両数走行粁 輸送人員 
キロメートル
昭和1626684,5723,004,572
202674,804411,249
2110118,5811,179,968
2213251,9421,748,600
2318380,0122,182,728
2420519,5512,584,280
2522607,3292,756,289
2625655,2463,488,378
出典:『浜松市営バス記念誌』より作成