[休止路線とその復旧]

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【遠鉄バスの戦災被害 休止路線の再開】
 遠州鉄道所有のバスは、昭和十九年(一九四四)末には百二十九両であったが、軍用として四十両が供出された。そして、差し引き八十九両のうち昭和二十年六月十八日の空襲で十六両が焼失した。戦後は新車八両を購入したが、老朽車両が多く三十一両を廃車にしたため、昭和二十一年十二月時点の所有車両数は、わずか五十両に減少していた。車両の不足に加えて、燃料、タイヤをはじめ必要資材の不足は深刻であった。この結果、営業路線距離は、創立年度(十八年度)の四百十・七キロメートルから二十一年度には二百二十七・一キロメートルまで減少し、運行休止路線は三百八十七・七キロメートルに及んだ。
 しかし、車両や資材が整うにつれて休止路線の再開が進んでいった。昭和二十年末には見付─磐田駅間、掛塚─磐田駅間が再開されたのをはじめ、翌年には浜松─河輪間や中遠地方、二十二年には浜名湖西岸や笠井─西ケ崎間、浜松市南部方面、二十三年には北遠地方を中心に路線が復活し、二十六年三月までに営業路線は四百一キロメートル、休止路線は三十八・三キロメートルとなった。