こうしたタクシー業界の復活に先立って、戦後間もなく活躍した交通機関には、短期間であったが、人力車やその改良型で自転車の後ろなどに箱型の客席を付けた国民車(輪タク、厚生車などとも呼ばれた)があった。『浜松市戦災史資料』四によれば、人力車は昭和二十年七月から三台で営業を始め、翌年十月には六台となり、昼間のみ営業していた。国民車は板屋町に丸高国民車、相生町に戸塚国民車があり、各々三台、計六台で戦後間もなく開業し、昭和二十一年五月には浜松駅構内においても営業を開始した。なお、『浜松市勢要覧』の昭和25年版には諸車欄に、人力車三、厚生車四十五、同27年版には人力車〇、厚生車十一と出ている(表2-41)。国民車も間もなく姿を消すが、戦後の混乱期とはいえ、人力車や国民車が市街地の交通手段として利用されたことは、今から見ると少々驚きである。
表2-41 諸車台数の推移
出典:『浜松市勢要覧』昭和23年~27年版より作成
注:①調査機関名は不明。年版により調査時期も異なる。
②自動車関係の項目は、25年版まで乗用自動車、貨物自動車、オートバイしかなく、23~27年版までは軽自動車、三輪車などの台数は含まれていないと思われる。
③26年版には、乗用、貨物、オートバイの項目以外に軽自動車619、特殊自動車9、合計1477の記載がある。
④27年版には、同様に軽自動車700、特殊自動車8、三輪計593の記載がある。三輪計を誤植とみて三輪593と読めば、自動車計は1754となる。また27年版のオートバイの数は定義の変更による減少か誤植と思われる。
⑤この表の自動車台数は後出の『浜松市統計』の「諸車の台数」の数字とは大きくかけ離れている。
⑥軽自動車は当時は二輪車のこと。
年版 | 乗用自動車 | 貨物自動車 | オートバイ | 自動車計 | 自転車 | 人力車 | 厚生車 | リヤカー | 荷車 | 牛馬荷車 |
23 | 19 | 140 | 140 | 17,170 | 5 | 25 | 2,341 | 790 | 170 | |
24 | 32 | 197 | 215 | 21,000 | - | 35 | 2,600 | 900 | 200 | |
25 | 32 | 197 | 215 | 24,247 | 3 | 45 | 2,617 | 899 | 211 | |
26 | 111 | 269 | 469 | 1477 | 32,812 | - | 43 | 3,804 | 1,047 | 285 |
27 | 100 | 304 | 49 | 1754 | 37,594 | 0 | 11 | 3,932 | 905 | 277 |
注:①調査機関名は不明。年版により調査時期も異なる。
②自動車関係の項目は、25年版まで乗用自動車、貨物自動車、オートバイしかなく、23~27年版までは軽自動車、三輪車などの台数は含まれていないと思われる。
③26年版には、乗用、貨物、オートバイの項目以外に軽自動車619、特殊自動車9、合計1477の記載がある。
④27年版には、同様に軽自動車700、特殊自動車8、三輪計593の記載がある。三輪計を誤植とみて三輪593と読めば、自動車計は1754となる。また27年版のオートバイの数は定義の変更による減少か誤植と思われる。
⑤この表の自動車台数は後出の『浜松市統計』の「諸車の台数」の数字とは大きくかけ離れている。
⑥軽自動車は当時は二輪車のこと。