【戦災の影響】
空襲や艦砲射撃によって焦土と化した市内の道路は、至る所に瓦礫(れき)が散乱し、爆弾や艦砲弾による大小の穴があいた状態であった。戦時中には道路の一部を防空壕や耕作地として利用していた場所もあって、多くの場所で通行不能となった。また、溝渠(こうきょ)が破壊されたため排水が不能となって雨が降ると浸水・氾濫することもしばしばであった。
浜松市は昭和二十年(一九四五)十一月に臨時建設部を設置、道路に散乱する瓦礫の撤去などの清掃作業に着手し、併せて弾痕の穴埋めを行い道路の復旧に努めた。また、バラック家屋の建設に伴い、道路脇へ搬出・集積された瓦礫の処理も行った。