[自動車・リヤカーと牛馬車の時代]

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【浜松市の自動車台数】
 『静岡県警察史』下巻によれば、県内の自動車台数は、昭和二十一年は三千百二十六台、六年後の昭和二十七年には二万七千七百六十九台へ増加した。浜松市の自動車台数は、『浜松市勢要覧』によれば表2-41の通りである。同表では昭和二十七年の自動車台数は約千七百台であるが、この数字は過小であると考えられる。『浜松市統計』に自動車台数が記載されるようになるのは、昭和三十一年(第16号)からであるが、それによれば、昭和二十八年の浜松市の自動車台数は五千五百五十九台、二十九年は六千百七十九台である。また、『静岡県史』資料編22(統計)は二十七年から県下の車種別自動車保有台数を載せている。同書によれば、二十七年二万七千七百二十八台、二十八年四万千六百六十一台、二十九年四万九千六十七台となっている。これらから県下の自動車台数に占める浜松市の割合はおおよそ十二%~十三%であった。この割合を昭和二十七年に適用して、浜松市の自動車台数を算出すると、三千台を超える数字になる。二十年代後半から自動車台数は急増するとはいえ、乗用車、トラック、三輪車、オートバイなどの乗り物はまだ一部の限られた人々の輸送手段であった。
 このころの庶民の乗り物は圧倒的に自転車で、昭和二十年代前半には市内でも荷物の運送手段としてリヤカー、荷車、牛馬車などが利用された。特に荷車、牛馬荷車は、市街地では急速に姿を消していくが、農村部ではその後も長く利用されたこともあって、周辺町村を合併するたびに一時的な増加を繰り返した。