[街路計画の立案と整備]

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【街路計画 復興都市計画事業】
 昭和二十年十二月三十日に戦災地復興計画基本方針が閣議決定され、二十一年九月には特別都市計画法が成立した。同法に基づいて同年十月九日に浜松を含む百十五都市が指定を受けた。基本方針によれば、街路計画は「主要幹線街路ノ幅員ハ中小都市ニ於テ36米以上、大都市ニ於テハ50米以上、其ノ他ノ幹線街路ハ中小都市ニ於テハ25米以上、大都市ニ於テハ36米以上、補助幹線街路ハ15米以上トシ止ムヲ得ザル場合ト雖モ8米ヲ下ラズ区画街路ハ6米以上トスルコト」とされた。
 浜松市はすでに復興都市計画事業を進めていたが、昭和二十一年十月に特別都市計画街路及び復興土地区画整理区域(五カ年計画)を決定、二十二年七月五日に総理大臣から認可を受けた。街路事業は五十路線、延長約百二十キロメートルに及んだ。ここにようやく本格的な戦災復興事業が開始されることになった。なお同計画は、二十四年六月に見直しが行われ、街路計画については「幅員のはなはだ大なる街路(概ね30メートル以上)は、その実現性並びに緊要度を勘案して適当に変更する。」こととした。
 昭和二十五年一月五日付『静岡新聞』は「最近では東宝横町、浜松座通り、千歳花町という新らしい繁華通が開通して新年とともに大いに賑わいはじめた……今年復興都市計画の第一工区廿八カ所を本格的に着工して全部完成させると意気込み、早くも関係市民の協力方を求めた……第一工区の新設および拡築道路は合計卅八路線、総延長七キロ半で約一千戸の家が移転される」と報じた。しかし、この後多くの市民の反対によって計画通りには進まず、中心部の道路の拡張は大幅に遅れた。
 このほかの国道・県道・市道の道路改良及び舗装の状況は表2-42の通りである。
 
表2-42 昭和24年~27年における国道・県道・市道の道路改良及び舗装状況
国道県道市道
24年:3カ年計画で浜松雄踏線3000m道路改良24~25年:上島天神線(上島~上新屋間)3000mの道路改良

25~26年:天竜川東、磐田市に至る3000mおよび浜名郡新居町地内1500mの道路改良

25年:3カ年計画で浜松掛塚線700mの道路改良26年:二俣浜松停車場線(上島町地内)1900mの舗装

25年:佐鳴湖に至る富塚~小藪間2500m・浅田神田線2000mの道路改良

27年:森田、菅原町地内1000mの道路改良、馬込川以東1200m・菅原町地内300mの舗装
27年:浜松雄踏線1000mの舗装
27年:浜松五島線4000m、和地山蒲線300m、火葬場線300mの道路改良
出典:『浜松発展史』より作成