浜松郵便局は昭和二十年(一九四五)六月十八日の空襲により、電話分室を除いて、本庁舎をはじめ局舎のほとんどを焼失した。このため焼け残った電話分室に郵便、電信、貯金・保険等の業務を移して営業を続けた。さらに一連の空襲によって電信・電話部門もほぼ壊滅状態であった。『浜松商工会議所六十年史』によれば、市内の電話加入者数は四千二百七十四を数えたが、十八日の空襲により加入回線はすべて不通となった。応急修理が行われたものの、終戦時の加入者数はわずか二十三にとどまった(表2-43)。
戦後は市内の特定郵便局が十局以上も罹災したため、浜松郵便局の窓口が非常に混雑したので、利用者の便宜を図るために昭和二十年十月十一日から鴨江町中部配電会社内及び中島町青果市場入口に臨時出張所を設置して対応に当たった。また、電話業務については、十月九日から浜松駅構内に特設通話局を開設した。
なお、浜松郵便局は、昭和二十一年十月十日、焼失した局舎跡(旭町四五)に木造局舎の建設に着手し、二十二年三月十日に完成、電話分室から移転した。また、二十一年十月一日には、浜松電話局が誕生して同郵便局から電話業務が独立した。とはいえ、同年九月末までの電話加入回線復旧率は昭和十六年に比してわずか三十一%にすぎなかった。さらに、二十四年二月には浜松電信局(同年六月浜松電報局と改称)が出来て、浜松郵便局から電信業務が独立した。
表2-43 電話加入数の変化
出典:『浜松商工会議所六十年史』より作成
注:昭和20年度は終戦(8月)当時を示す。
年度 | 加入数 |
昭和20年 | 23 |
21 | 575 |
22 | 1,757 |
23 | 3,487 |
24 | 3,997 |
25 | 4,281 |
26 | 4,458 |
27 | 6,463 |
28 | 7,277 |
注:昭和20年度は終戦(8月)当時を示す。