[新制度下での業務開始]

301 ~ 301 / 900ページ
【浜松電話中継所 浜松電話協力会】
 昭和二十三年十二月に逓信事業を郵政事業と電気通信事業の二省に分離する法案が成立し、二十四年六月一日、郵政省と電気通信省が設置された。これに伴い、電報・電話業務は、郵政事業から分離された。名古屋逓信局も東海電気通信局と名古屋郵政局に分離し、浜松地域の電信・電話はさらに静岡電気通信部の管轄下に置かれた。同年十一月五日には遠距離電話の中継と音声電流の増幅のための施設として積志村有玉に浜松電話中継所(三十二年積志村が浜松市に合併し、有玉電話中継所に改称)が建設された。二十五年には、同中継所に東京─名古屋間NHK第一・第二放送中継線が開通した。
 昭和二十四、二十五年ごろから電話増設の必要性が高まった。特に、朝鮮特需による好景気が始まると、需要が激増する一方、市外通話においても通話数が極端に増加した。二十四年からは電話番号簿の発行も本腰を入れて行うようになった。しかし、資材の不足等による復旧の遅れや施設の老朽化、保守の困難等により故障が続出した。すでに時代遅れとなった共電式の通話方式と回線数の不足はこれに拍車を掛けた。市外通話の待ち合わせ時間はとりわけ長かった。
 このような状況を受けて、昭和二十五年七月二十九日に浜松商工会議所を中心に浜松電話協力会が結成された。同協力会は、間もなく浜松・磐田間準即時通話、電話交換台の増設、市外回線の増設、大都市との通話迅速化などを関係当局に陳情するなどの運動を展開した。