【自警団】
終戦直後からの混乱の中で、市内の中心部や郊外でも犯罪が頻発し、昭和二十一年の一月上旬には「浜松署管内の盗難事件は日に十件を下らず、正に泥棒横行時代を現出してゐる」と『静岡新聞』は伝えている。やみ市があった板屋町付近では露天のおでん屋が夜遅くまで開店している関係で、チンピラが夜遅くまでうろつき、物騒で夜も枕を高くして寝られない状況下にあった。そこで、新春早々、町民大会を開き、二十一年一月、板屋町の町民は自警団を組織し、五人一組で夜警を始めている。当時、このような自警団は市街地はもとより郊外の農村部でも組織された。市内中心部の伝馬町では、焼け跡の空き地に詰め所を建て、週に四日、四~五名が交代で集まって、夜の九時から翌朝の一時まで、町内を巡回する活動をした。なお、この自警団も町内の戸数が増えると自然に消滅していった(『わがまち文化誌 浜松中心街の今昔 中央・北・東地区』)。このような、犯罪行為の多発の背景には、市民の道義心の低下が考えられた。一般市民も列車内での強引な割り込みをしたり、食べ歩きや路上喫煙を老いも若きも平気でしたりするようになったと、鈴木良は日記に書いている。