【電気】
浜松大空襲から約三カ月たっても浜松の中心市街地の多くは暗闇の生活を余儀なくされていた。中部配電では電灯線の復旧を急ぎ、昭和二十年十月三日までに野口、佐藤、植松、向宿、中島、北寺島、砂山、寺島、楊子、浅田、海老塚、森田、広沢、鴨江、上池川、和地山、高林、早馬、新津、助信、中沢の二十一の町の住宅へ電気を引いた。これにより夜になると民家に明々と電灯がともり明るい世界を取り戻した。しかし、工事が難しく資材難のために元浜、山下、尾張、常盤、元城、松城、三組、亀山、高町の九カ町はいましばらくの辛抱であると新聞は伝えていた(『毎日新聞』昭和二十年十月五日)。ただ、電灯引き込み料が一戸につき百円と高かったため、戦災市民から中部配電に対して怨嗟(えんさ)の声が上がったという。