【越冬用布団代用品 長谷川保 旧中部第九十七部隊】
寒さが身にしみ始めた昭和二十年十月二十七日、浜松市は戦災者の越冬用布団代用品の購入希望者調べを各町内会長に依頼している。配付は有償で、申し込み順であった。これは純毛製敷布団の代用品で長さ二メートル、幅一メートル、厚さ二十五ミリのものが一枚三十六円、同じく十二ミリのものは二十一円であった。いよいよ寒さが厳しくなった十二月、聖隷保養農園の長谷川保は戦災市民を凍死から救うため、三方原村にあった旧中部第九十七部隊の兵舎と毛布を貸してもらうため県の総務部長や浜松市長に掛け合ったと言われているが、兵舎の中に格納されていた数千枚の毛布はすでにやみ商人へ払い下げられていたという(長谷川保著『夜もひるのように輝く』)。翌年一月になって薪炭・ガス等の燃料不足から電熱器が急速に普及してきた。しかし、この電熱器は電灯の数十倍の電力を消費し、一部の粗悪電熱器の無断使用により、配電線や変圧器の故障が激増してきた。この対策として、中部配電は停電防止のちらしを配布したり、粗悪電熱器の使用をやめさせるため会社で承認を受けたものにのみ電熱使用承認票を発行した(『新編史料編五』 七社会 史料11)。