[ガラの道路への放置]

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【ガラ 失業者救済事業】
 小規模な個人の住宅や商店は続々と建てられていったが、都市全体の復興はやや遅れていた。昭和二十二年一月の段階では、駅前の大通りは罹災前に近いまでに復興し、道路も美化されたが、元城国民学校付近では戦災で破壊された瓦や壁などの多くのガラが道路に置かれたままになっていた。ガラの量は約百六十万トン、そのうち整理されたものは九十五万トンであった。新聞には「家屋は復興したが、道路には塵芥の山」などと書かれていた。この原因として、記者は「拙速主義、道義頽廃、個人本位」の戦後の道徳観を挙げている。浜松市は土木業者・町内会・勤労署の失業者救済事業などと提携して道路上のガラ整理を進めていった。