[食堂の開業と松菱百貨店]

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【食堂 松菱百貨店 棒屋百貨店】
 市民や近郷近在から浜松に来た人、やみ市などに集まる人々を相手に食堂もたくさん出来ていった。昭和二十一年十一月、深刻な食糧難の時代に鍛冶町に新装開店した食堂の健民館ではエビフライなどのフライ物、ビフステークなどの焼き物、カキ鍋などの和食と、多種類の食事や和洋酒などを豊富に用意していた(『新編史料編五』 七社会 史料21)。昭和十二年に開店した松菱百貨店は空襲と艦砲射撃で大損害を受けたが営業を続行し、終戦時にも一部の売り場で代用商品の販売をしていた。昭和二十年十月には一階の一部を古本屋に、五階の一部をダンスホールに賃貸している。二十一年十二月には二階売り場を再開、二十三年には四階に美容室、歯科、写真館を、屋上に飛行塔と子供汽車を開設、さらに三階売り場を再開している。二十四年十一月には全売り場が再開された。松菱と並んで小規模ながら百貨店として営業していた棒屋は戦災で焼失、二十一年十月に再び棒屋百貨店として新装開店し、松菱と競い合うようになった。