[浜松での労働組合と連合組織の形成]

329 ~ 330 / 900ページ
【遠州地方労働組合会議 静岡県労働組合協議会 労働組合総同盟静岡県連合会 浜松市教職員組合】
 全国各地で労働組合が誕生すると、これらの労働組合がより活発な活動が出来るように全国的な連合組織が誕生した。一つは日本社会党系の日本労働組合総同盟(総同盟)で、昭和二十一年八月一日に創立大会を開催し、右派勢力の結集が図られた。一方、日本共産党を中心とする左派はこれに対抗して同月十九日に全日本産業別労働組合会議(産別会議)を結成し、多くの労組の結集を目指していた。
 このようななか、県内でも労働組合の連合体をつくる運動が活発となった。昭和二十一年二月には浜松地方労働組合代表者会議が開かれ、連合組織をいかにするかが話し合われた。そして、同月二十五日に浜松銀行集会所において遠州地方労働組合連合会が結成された。会長は鈴木式織機の河合嘉作、副会長は国鉄浜松工機部の三ツ石五六であった。これは翌年一月に遠州地方労働組合会議(遠労、百五十組合が参加)と改称した。遠労は昭和二十二年三月末の労働省の調査によると組合員三万一千三百四十名を数えていた。
 昭和二十一年三月には県労政課の後押しもあって県庁で四十一組合が結集し、静岡県労働組合協議会が結成された。浜松地区では鈴木式織機、国鉄浜松工機部、国鉄浜松機関区の三組合が参加した。この静岡県労働組合協議会(県労協)の結成準備会は、産別会議系列下の主要組合の一つがあった庵原郡蒲原町の日本軽金属蒲原工場で行われたことでも分かるように、産別会議系が主導権を握っていた。なお、県労協は労働組合法に基づく静岡県地方労働委員会の労働者側委員の選出の母体として発足したものであった。
 県労協の発足に続いて昭和二十一年五月には労働組合総同盟静岡県連合会が結成された。これは繊維産業労働者が県連組織の約六割を占めており、浜松地区では遠州合同労働組合、日清紡績労働組合浜松支部などが参加、連合会の事務所は駿東郡清水村に置かれ、浜松には連絡所を置いた。また、総同盟県連は県労協に加盟し、統一行動を取り、全国的には左右に分裂していた労働運動も県内では統一を保っていた。これが分裂するのは二十三年になってからのことである。
 初期の浜松地方の労組が中央の上部団体とのつながりをどのように模索したかを示すのが、昭和二十一年に結成された浜松市教職員組合(浜教組、初代組合長は北国民学校教員の鈴木良)の動きである。浜教組は当時中央に出来ていた全日本教員組合協議会(全教協)と教員組合全国連盟(教全連)に、青年部長を二度にわたって上京させ、実地に調査研究をさせている。そして各校での組合員の討議を経て二十一年に教全連に加入を決定、翌年一月の大会で承認された。なお、二十二年六月に中央の両組織が合併して日本教職員組合(日教組)が結成され、浜教組は二十二年六月に新しく結成された静岡県教職員組合(静教組)に加盟、また、静教組は日教組に加盟し現在に至っている。