戦争中、銃後の家庭と地域、さらに多くの職場を守り、様々な実務をこなしてきた女性たちを束ねてきたのが、愛国婦人会・大日本連合婦人会・大日本国防婦人会の三つを昭和十七年(一九四二)に統合してつくられた大日本婦人会であった。これは同年六月に大政翼賛会の統制下に入り、昭和二十年六月には国民義勇隊女子隊に改組されたが終戦とともに解散した。
戦後になって市内の各町内会には行政の支援を受けて婦人会が組織されるようになった。これにはまだ戦争中の大日本婦人会での手法が継承されていた。こうしたなか、昭和二十一年二月ごろから新しい婦人団体結成の機運が芽生えてきた。このころの「新婦人団体結成準備のため有識婦人推薦依頼の件」という文書には、この新婦人団体の目的として「婦人の自覚奮起を促し盛上げる忠誠なる愛国心に燃え、有力なる推進力たらしむべく…」とあり、戦中の面影が多少感じられるものであった。その後、たびたびの会合や講演会開催を経て、二十一年五月十日に浜松市会議事堂において浜松市婦人連盟の結成式が行われた。連盟の発足時に施行された会則では会の目的として「会員タル婦人一同心結合シテ婦徳ノ涵養教育ノ向上ヲ図リ以テ平和日本建設ニ寄与スルコト」とし、二月の文が変更になっている。会則によると会員の資格は市内居住で、満二十五歳以上の既婚者に限られていた。連盟の事務所は市役所内の教育課に置かれ、経費は「篤志寄付金及其ノ他ノ収入ヲ以テ之ニ充ツ」となっていた。下部組職としては市内全域の各町内会に設けられた婦人会を支部とし、付近数町でつくる連合支部もあった。活動内容は文化講座や家庭経済研究会などでの学習や食生活改善講習会や物価引下げ日用品廉売会などの実践、国立病院や弁天島同胞寮などの奉仕活動など多岐にわたっていた。これらを昭和二十五年度までをまとめると表2-47のようになる(『手をとりあって』浜松市婦人連盟史)。
表2-47 昭和20年代前半の浜松市付近の婦人会の活動
出典:『手をとりあって』浜松市婦人連盟史などより作成
注:表中の*は浜松市外の活動。
年度 | 生活改善のための活動 | 困窮者等の慰問活動 | 社会に目を開き教養を高める事業 |
昭和 21年度 | ・パンやウドンの製法を学ぶ食生活改善講習会開催(『新編史料編五』七社会 史料17) | ・海外引揚同胞援護資金募集の演芸会開催 ・満州開拓移民引揚同胞援護活動 | ・婦人有権者の参政意識を高め棄権防止のため婦人公民啓発運動(下池川町婦人会は各党の立会演説会に全員参加) ・家庭経済研究会の開催 |
22年度 | ・傷痍軍人の食事の世話や演芸隊による慰問(和合町、国立病院) | ・市から母親学級事業が委託され各小学校単位に実施。 ・性病撲滅と正しい性知識普及のため「明るい結婚展」開催(松菱百貨店) | |
23年度 | ・物価引下げ運動を展開。日用品廉売会開催(市議会議場) | ||
24年度 2月末 会員数 19000人 | ・物価引下げ運動展開。日用品廉売会開催(市公会堂等) ・価格査定委員会の監査員に同連盟推薦で会員6名がなる。 ・食料事情懇談会(五社神社境内) ・婦人週間(4/10~16)での投票で「主婦の店」47店を選定。 *長上村婦人会は「一戸五羽運動」を呼びかけ、養鶏を盛んにして村を立て直す運動を行う。 *奥山村婦人会は毎月一、二回、婦人解放日を設け、映画会や芸能祭、遠足や修養会をする。 | ・引揚者母子収容の弁天島同胞寮や仏教養護院母子寮等の戦争未亡人となった困窮者や伊場遺跡発掘隊を慰問。 ・傷痍軍人慰問(国立病院) ・引揚者慰問(浜名寮) | ・夏期婦人文化講座開催[婦人問題・法律と女性解放・現代文学の自我観・女人と芸術](市公会堂)。 ・米第八軍民事局主催講演会参加。 ・小松の味噌醤油工場見学。 ・会員慰安会[東京の高松舞踊団](浜松座) |
25年度 | ・浜松食糧公団主催のビルマ米調理講習会参加(市公会堂)。 *新津村婦人会は生活改善の先進地山梨県富士見村視察。 | ・熱海大火見舞金義援 ・箱根診療所、孤児が収容されている舘山寺こどもの家福音寮,国立病院,養老院,母子寮の慰問。 | ・夏期婦人文化講座,市と共催[婦人問題 ・最近の国際事情](市公会堂)。 |
注:表中の*は浜松市外の活動。
また、生活改善運動も創意工夫を凝らして長く続いた。この生活改善運動の柱は台所の改善と結婚改善で、これらは戦前の婦人会の活動と類似しているが、戦後のそれは女性の権利意識の向上と家柄による格差の是正を目指していた。なお、昭和二十四年には投票によって主婦の店を選定するといった活動も始めた。これは、他店よりも価格が安い、価格表示が守られている、品質がよく量目が正しい、サービスがよいなどの条件を備えている店を主婦の店とし、四十七店が選定された。この運動の背景には、食糧事情も好転し始め、やみ市に取って代わって各地の商店街が復興してきたこと、各地の婦人会の力量が高まってきたことがあったと思われる。