[深刻な食糧・衣料不足を救ったララ物資]

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【アジア救済連盟 ララ物資】
 昭和二十一年、アメリカでアジアの生活困窮者を救うため、キリスト教団体を中心に十三団体がアジア救済連盟(ララ)(Licensed Agencyfor Relief of Asia略称=LARA)が設立された。ララが日本に送った主な支援物資は脱脂粉乳と衣類であった。第一便は二十一年十一月に到着、翌年の一月からは浜松の国民学校にも脱脂粉乳や缶詰、ジュースなどが届き、給食に出されるようになった。ララ物資での学校給食については第三節教育の第二項を参照されたい。また、聖隷保養農園には衣類や脱脂粉乳のほか、ヤギまで届けられたという(『聖隷60年のあゆみ』)。また、三方原の開拓地では生活困窮者に衣類や靴などが年数回配られた。開拓に従事していた中津川精は「アメリカのはでな色物を着ている者、どうもにあわない者、とてもこっけいな姿を時々見かけ…」と記している(中津川精遺稿『赤土の大地に夢を』)。ただ、三方原村役場の「ララ物資の配分について」の文書には、該当者として「三方原開拓地の入植で真に衣料に困窮して居る者 但し横流しのおそれあるものにはたとへ困窮者といへども配給せない事」と記されていた。
 ララによる支援は民族・宗教を超えた博愛の精神に基づくもので、戦後復興の苦境にあえいでいた日本人にかけがえのない贈り物であった。これに感謝して浜松市議会は二十三年十二月二十五日に感謝状の贈呈を満場一致で決議した。