[高齢者施設の開設]

359 ~ 359 / 900ページ
【浜松仏教養護院 木全大孝】
 浜松市仏教会が浜松仏教養老院を創設したのは昭和三年(一九二八)のこと、県下では早い時期のものと言える。この施設が戦災で焼失したので鴨江の現在地に養老寮と母子寮が建設された。名称を浜松仏教養護院とし、養老寮(定員三十名)の事業が開始されたのは二十二年四月一日のことであった。院長は大巌寺住職の木全大孝、設置主体は浜松市であった。戦後における事業としても県下で最も早い高齢者の施設であった。昭和二十三年二月の『静岡新聞』にこの浜松仏教養護院が紹介されている(『新編史料編五』 七社会 史料57)。それによると養老寮の入所者は六十五歳から八十二歳までの十五人、新聞の見出しや記事には「姥捨山」、「世に捨てられた老人老婆」と表現されているが、養護院では三度三度温かいご飯を出したり、鶏と兎を飼い、楽しみと仕事を与えていると記されている。養老寮の人たちは生活保護法による交付金と寮費で賄われているという。この養護院は後に社会福祉法人となり、三十三年に設置主体が浜松市から社会福祉法人の浜松仏教養護院となった。三十六年一月に養老寮は光音寮となり、現在に至っている。昭和二十年代には老人福祉施設はまだ少なく、養老寮は草分け的な存在であった。